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トヴォについて(2011.6 – 2021.6)

「tovo/トヴォ」について

【tovo/トヴォ】は、2011年3月11日の東日本大震災によって、親を失った子どもたちを、青森から支援するプロジェクトです。チャリティーグッズを制作・販売し、その経費を除いた全ての収益を、長期的な子どもたちの心のケアの為、あしなが育英会へ継続的に寄付し、青森から「あなたがたのそばにいつもいますよ」と伝え続けます。ご支援・ご協力を宜しくお願いいたします。

【tovo/トヴォ】という名前は、宮沢賢治のイーハトヴォ(理想郷)からとりました。「イーハト」は「イワテ」のもじりと言われていますが、【tovo / トヴォ】の「ト」は東北の「ト」です。東北のドリームランドという意味で【tovo/トヴォ】という名前をつけました。

【↓※立ち上げの特設サイトの為に、2011年6月24日に書いたものです。】

2011年6月24日

この度の東北地方太平洋沖地震に被災されました方々に心よりお見舞い申し上げます。 重ねて被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

3.11以降、日本じゅう全ての人が、日本復興の為、各々ができることを、様々なかたちで行動されてきていることと思います。僕もこの3ヶ月間、僕ができることを、僕のできる限りしてきましたし、これからもそれを続けていきます。

この3ヶ月間、ずっと頭から離れなかったのは、震災によって両親或は片親を亡くしてしまった子どもたちのことでした。彼らの里親になりたいと考え、相談にも行きましたが、今の僕には現実的に無理でした。では、そんな僕が彼らに何ができるか。いろいろと考えた結果、今後、長期間に亘り、彼らに少しばかりの寄付をし続けること、そして、彼らから少し離れた青森という場所にも、彼らのことを想う人たちがいるということを伝え続けることではないかと考えました。

今後、青森県内のイベントにできる限り参加出店していきます。そこで、チャリティーグッズを販売し、その収益をあしなが育英会へ寄付し、東日本大地震・津波遺児支援に役立てていきます。

このチャリティーの為に、青森りんごをモチーフでデザインをしました。第1弾として、同デザインで缶バッチのセットを用意しました。色違い2種類セットで500円です。

今は、正直どこまでできるのか分かりません。これが最良なのかどうかも分かりません。とてもとても小さな一歩ですが、とにかく長く続けていきたい。この困難を乗り越え、夢を持ち、諦めることなく、夢に向かって力強く歩き続けて欲しい。僕自身も彼らと共にこのチャリティーを通して成長していければと思っています。

このチャリティーを手伝って頂ける方、大歓迎です。是非ご連絡ください。

どうぞ末永くお付き合い頂けるとありがたいです。よろしくお願いいたします。[2011.6.24]

【↓※名もなく活動していましたが、新しく「tovo/トヴォ」という名前を付け、団体にした時(2011年10月24日)に書いたものです。】

2011年10月24日

今年6月より個人で東日本大地震・津波遺児チャリティー「あおもりから いつもそばに Always With You」を続けてきましたが、この度【tovo / トヴォ】という団体名にして続けることになりました。

今年6月より友人たちの力を借りながら、個人でチャリティーグッズをコツコツ販売し、あしなが育英会「あしなが東日本大地震・津波遺児募金」に寄付を続けて参りました。おかげさまで、先月末までで、¥108,692-を寄付することができました。単純に計算すると、500円の缶バッチを450セット以上販売してきたことになります。1ヶ月に1万円、それを10年間続けて、100万円の寄付が僕の当初の目標でした。自分でも予想以上の販売数に驚いていると同時に、お買い上げ頂いた皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。

始めてから5ヶ月が経過し、途中、何度も心折れそうになってきましたが、その度に新しい出会いがあり、声をかけて頂いたり、或は、実際にいろいろと動いて頂いたり、また最近は社会的に信用のある方々からも声をかけて頂けるようになりました。始めた当初は勢いだけでよかったのですが、そのような社会的な地位のある方々との会話の中で、やはり、個人で続けていくには無理があると強く感じていたのも事実です。偶然にも、9月末から10月にかけて、いろいろなことが起こりました。そして、思い切ってこのタイミングで団体にしてみようと思い立ちました。

今年の春先に長期でお休みを頂き、テントと寝袋、食料、ガソリン、必要なものを全て小さな車に詰め込んでボランティアをしてまわりました。岩手県陸前高田市、宮城県東松島市、宮城県石巻市、福島県南相馬市。身体的にも精神的にも過酷な日々でした。ボランティアから帰ると、皆からその様子を聞かれました。でも、これからどうしようかということは話をしても、どれだけ悲惨な状況だったかを彼らに話したことはありません。ここで経験し本当に僕が考えたこと、そういったことを僕は誰にも話さないと決めました。なんでだろう。とにかく自分の中にだけずっとしまっておこうと決めたのです。そして、それが、このチャリティーの僕の原動力になっています。

ボランティアの初日は岩手県陸前高田市でした。津波に流されて何にもなくなってしまって海まで見渡せる場所で、高台の裾に山と溜まった瓦礫を一日中片付けました。夕方、ボランティアの仕事が終わり、水を一気に飲み干してから、汗びっしょりの衣服を着替えて、バスに乗り込もうとした時、瓦礫の山の間にポっとできたちょっとした広場に、どこからともなく子どもたちが集まってきました。小さい子から中学生かそこらの大きな子まで、着の身着のままのかっこうで、その広場に集まってきました。子どもたちはそこで野球を始めました。道具も揃っているわけではなく、みんなが各々のかっこうで、野球を始めました。なんでか、僕はボロボロ涙がでました。ずっと涙が止まりませんでした。バスに乗り込んでも涙が出て、隣の人がだいじょうぶですかと聞きました。でも、涙は止まりませんでした。イーハトヴォ。突然、宮沢賢治のイーハトヴォが頭に浮かびました。そして、その言葉が頭から離れませんでした。

【tovo / トヴォ】という名前は、宮沢賢治のイーハトヴォ(理想郷)からとりました。「イーハト」は「イワテ」のもじりと言われていますが、【tovo / トヴォ】の「ト」は東北の「ト」です。東北のドリームランドという意味で【tovo / トヴォ】という名前をつけました。

団体にしたところで急に何かが変わるわけではないでしょう。今まで通りコツコツと粘り強く続けていくだけです。決して忘れないように続けていくだけです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。[2011.10.24]