ちんとぼ最終回を終えて
1年前から毎月配信してきた「ちんとぼ」はなんとか目標達成、最終回を迎えることができた。今回は「木村興農社」の木村秋則さん、江利さん、文美さんと一緒にりんご畑で過ごした8日間を記録して編集している。
江利さんは、僕がいつ、どのように死ぬのか知っている。と、思わせるくらい洞察力があって、モノを見る目の鋭さは全く敵わない。僕が畑の手伝いをしている写真は、江利さんが撮って送ってくれた写真なんだけど、その鋭さはこの写真の構図の美しさにも表れていると思う。僕は江利さんは写真家になればいいのにと、ずっと思っている。
江利さんは、「小山田さんの、小山田さん自身の問題を解決したいという強い気持ちが、小山田さんの原動力になっているのでは?」と、僕に言う。今までそんなこと考えもしなかったけど、言われた瞬間、全くその通りだと感じてビックリした。今回の動画を編集し終え、完成した動画を観てたら、江利さんの言うことは間違ってないなと思って、なんだか泣けてきてしまった。
今回は8日間通った。撮影したデータは21時間くらい。毎回、意図を持ち込まないように、畑に入る前に少し息を整えて瞑想みたいなことをする。あとは何も考えずにブラブラしてるだけ。ただ暇な人になる。もちろん、質問もしない。何も撮れないこともあるけど気にしない。その日撮影したものはそのまま確認なしでコピーして保存しておく。次の撮影で意図が湧いてくるから、撮影したものは見ない。この繰り返し。
編集に入ったら、撮影したものを全て何も考えずに何度か見直す。出逢い直しの作業になる。20時間のデータだったら、2回見直したら40時間、3回で60時間かかる。嫌になるくらい時間がかかるがズルはしない。何回か見ると心に引っかかる場面が出てくる。それを更に何度か見直していると、時間や場所や使う言葉が違っても、同じ意味のことを話していることがだんだん分かってくる。あとは場面場面を入れ替えてリズムを作っていく。
もの凄く非効率的だから、頭が商業ベースになってたら苦しいだけの作業だけど、今の僕には非効率であればあるほど気持ちいい。生きている感触が掴めてくる。何日か寝なくても大丈夫。でも、逆の立場になってみると、この動画は観る人にも非効率を求める。その点ではものすごく恐縮している。それでも、毎回、時間を作って観てくれて、感想を送って頂いたり、更には投げ銭まで送ってくれるのは本当にありがたいし、嬉しいし、そういう方を心より尊敬している。
素人が作るものだから、決して褒められるような動画ではないのは自分でもよく分かっている。ただ何かをやろうとしている人は常に怖ろしく孤独なものだ。感想や投げ銭は、ほんの少しの希望、蜘蛛の糸のようなものになる。「なんかよく分からないけど、何かを必死に探しているんだろう」そんな温かい目で見守ってくれてた方々がいたから、それを支えに続けることができた。僕もそういう人間になろうと思う。
なんで最後を「木村興農社」さんにしたのかは記事にも書いているし、動画でも紹介しているから繰り返さないけど、ただ、僕は「奇跡のリンゴの作り方」みたいな How To に興味はないし、「有名な」という部分にも興味はないし、ましてや、そこにマウントして再生回数を稼ごうなんて気持ちも全くない。では、何の為に?ということになるけれども、結局は、江利さんの言う「小山田さんの、小山田さん自身の問題を解決したいという強い気持ちが、小山田さんの原動力になっているのでは?」だったのだ。僕は木村秋則さんが、僕の問題を解決するヒントを持っていると考えていたのだと思う。今回だけではない、前回の「ちんとぼ」も、前々回も、前々々回も、、、最初からずっと僕の問題を解決するヒントを探していたのかもしれない。
今回も、長尺で、さらに津軽弁という高い高い壁を乗り越えて、一体どのくらいの方が最後まで観てくれたのか分からない。ただ、当たり前だけども、僕にとっては、僕が観た木村秋則さんに関するどの映像よりも心に入ってくる。秋則さんや江利さんが深く深く心に入ってきて、津軽弁で「お前はどう生きる?」と語りかけてくる。でも、秋則さんや江利さんが、僕の問題を解決できないことも分かっている。自分で「観察」し続けて、「自分で考え続ける」ことでしか、僕は僕の問題を解決できない。賢明な方には当たり前じゃないかと思えるだろうけれども、僕にはそれを理解するために、この「ちんとぼ」というとても非効率的な遠回りが必要だったんだと思う。
木村興農社さん、木村秋則さん、江利さん、文美さん、ありがとうございました。