【tovo / トヴォ】
今年6月より個人で東日本大地震・津波遺児チャリティー「あおもりから いつもそばに Always With You」を続けてきましたが、この度【tovo / トヴォ】という団体名にして続けることになりました。
今年6月より友人たちの力を借りながら、個人でチャリティーグッズをコツコツ販売し、あしなが育英会「あしなが東日本大地震・津波遺児募金」に寄付を続けて参りました。おかげさまで、先月末までで、¥108,692-を寄付することができました。単純に計算すると、500円の缶バッチを450セット以上販売してきたことになります。1ヶ月に1万円、それを10年間続けて、100万円の寄付が僕の当初の目標でした。自分でも予想以上の販売数に驚いていると同時に、お買い上げ頂いた皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
始めてから5ヶ月が経過し、途中、何度も心折れそうになってきましたが、その度に新しい出会いがあり、声をかけて頂いたり、或は、実際にいろいろと動いて頂いたり、また最近は社会的に信用のある方々からも声をかけて頂けるようになりました。始めた当初は勢いだけでよかったのですが、そのような社会的な地位のある方々との会話の中で、やはり、個人で続けていくには無理があると強く感じていたのも事実です。偶然にも、9月末から10月にかけて、いろいろなことが起こりました。そして、思い切ってこのタイミングで団体にしてみようと思い立ちました。
今年の春先に長期でお休みを頂き、テントと寝袋、食料、ガソリン、必要なものを全て小さな車に詰め込んでボランティアをしてまわりました。岩手県陸前高田市、宮城県東松島市、宮城県石巻市、福島県南相馬市。身体的にも精神的にも過酷な日々でした。ボランティアから帰ると、皆からその様子を聞かれました。でも、これからどうしようかということは話をしても、どれだけ悲惨な状況だったかを彼らに話したことはありません。ここで経験し本当に僕が考えたこと、そういったことを僕は誰にも話さないと決めました。なんでだろう。とにかく自分の中にだけずっとしまっておこうと決めたのです。そして、それが、このチャリティーの僕の原動力になっています。
ボランティアの初日は岩手県陸前高田市でした。津波に流されて何にもなくなってしまって海まで見渡せる場所で、高台の裾に山と溜まった瓦礫を一日中片付けました。夕方、ボランティアの仕事が終わり、水を一気に飲み干してから、汗びっしょりの衣服を着替えて、バスに乗り込もうとした時、瓦礫の山の間にポっとできたちょっとした広場に、どこからともなく子どもたちが集まってきました。小さい子から中学生かそこらの大きな子まで、着の身着のままのかっこうで、その広場に集まってきました。子どもたちはそこで野球を始めました。道具も揃っているわけではなく、みんなが各々のかっこうで、野球を始めました。なんでか、僕はボロボロ涙がでました。ずっと涙が止まりませんでした。バスに乗り込んでも涙が出て、隣の人がだいじょうぶですかと聞きました。でも、涙は止まりませんでした。イーハトヴォ。突然、宮沢賢治のイーハトヴォが頭に浮かびました。そして、その言葉が頭から離れませんでした。
【tovo / トヴォ】という名前は、イーハトヴォからとりました。「イーハト」は「イワテ」のもじりと言われていますが、【tovo / トヴォ】の「ト」は東北の「ト」です。東北のドリームランドという意味で【tovo / トヴォ】という名前をつけました。
団体にしたところで急に何かが変わるわけではないでしょう。今まで通りコツコツと粘り強く続けていくだけです。決して忘れないように続けていくだけです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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